ラトビア(バルト三国)にある旧日本軍の寄せ書き
タツ
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旧日本軍47人の寄せ書きが日本から遠く離れたバルト三国のラトビアのリガにある軍事博物館に展示にされていることを知っている人は少ないと思います。一体その経緯はという疑問から、その経緯についてのブログがあったので読んでみました。
引用:
このブログにあるこのテレビ番組の内容には違和感と疑問を感じました。次のような点です。
1.なぜ、普通の医師がシベリアで強制労働させられているのか
2.なぜ、命の危険を冒してまで凍傷の日本人を助けたのか。
3.なぜ、日本人を助けたというだけで、なぜリガの軍事博物館に展示するのか
という点です。一方、関連して次のような記事がありました。
引用:
これらのことを統合すると
なぜ一般人がシベリアで強制労働させられているのか
1945年にバルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)から多くの人がソ連(現ロシア)によってシベリアに強制連行されています。そもそもソ連は共産主義国であり、一般人でも体制に反対するものは全てシベリアで過酷な強制労働をさせたものと思われます。彼らは一般人であるにも関わらず軍人であった日本人より酷い目に遭い、それを見た日本人は裏でバルト三国の人達を助けていたということです。このテレビ番組では単にラトビアの医師が日本人を助けたお礼に寄せ書きが送られたような美談で終わっていますがこの事実は伝えていません。
なぜ命の危険を冒してまで凍傷の日本人を助けたのか。
これについては自分たちがそれまで日本人達に助けられていたからです。相当助けられたのだと思われます。最終的にはお互いの友情の証として寄せ書きを残したのです。さらに、軍事博物館に展示したのはこの事を後世に伝えるためのものです。このような根拠に基づけば腑に落ちます。恐らくこれが事実だと思われます。
つまりテレビ番組の美談とはほぼ真逆の筋書となります。このように軍人である日本人が如何にバルト三国の人達を助けていたか、当時の共産主義国ソ連が如何に愚行を行っていたかという事実を伝えずして美談だけで終わらせようとするテレビ番組の真意は何なのでしょうか。私は直接番組を見たわけではありません。しかし、このブログを見る限り少なくとも一人の視聴者が単なる美談と捉えていることは事実です。
引用:
リガの軍事博物館はラトビアと日本の絆を象徴する〇〇が!日本人必見の観光スポット!2021.12.11 https://rock1105.com/riga-latvian-war-museum-1452
そのテレビ番組の内容によると、ラトビア人医師の「ブリウクス」さんという方が第2次世界大戦終戦後に持ち帰ったものだそうです。きっかけは、1945年の終戦後の樺太。終戦後にソ連が樺太で戦後復興としてインフラや建物を作るため、日本人を含めて強制労働者として収監。連れてこられた人々は、極寒の地で凍傷と飢えに苦しみながら毎日木を切り倒し加工します。そのような環境下で強烈な肉体労働はもちろん容易ではなく、あまりの過酷な労働条件に連行されてきた人々は続々と病にかかってしまいます。
そのなかで、同じ環境下にいたラトビア人医師のブリウクスさんは、過酷な環境下でも仲間で助け合う日本人の振る舞いに感動し、同時に仲間意識を持ち始めました。そうして、しだいに日本人たちと仲良くなっていくブリウクスさん。そんなある日、1人の日本人が凍傷にかかります。すぐに処置しないと命が助からない状況で、ブリウクスさんはその日本人を助けようと考えました。
しかし、同じ捕虜同士でそのような行為をおこなおうものなら、軍人から目をつけられて拷問される可能性が。それでもブリウクスさんは意を決して危険を顧みず、日本人を助けるため治療を行いました。そのおかげで、日本人は一命をとりとめることに成功。その感謝の気持ちとして、贈られたのが展示されている日本人による国旗の寄せ書きなのです。実はこのエピソードは、私がバックパッカーから帰ってきたあとに、この番組で知ったのです・・。そのときは、いままで知らずにラトビアを観光していた自分に激しく後悔しました。なんで、こんなに大事なことを知らなかったのか!
このブログにあるこのテレビ番組の内容には違和感と疑問を感じました。次のような点です。
1.なぜ、普通の医師がシベリアで強制労働させられているのか
2.なぜ、命の危険を冒してまで凍傷の日本人を助けたのか。
3.なぜ、日本人を助けたというだけで、なぜリガの軍事博物館に展示するのか
という点です。一方、関連して次のような記事がありました。
引用:
欧米で進む戦勝国史観見直し 2023年10月21日(土) https://www.kokuminkaikan.jp/chair/lecture/P3pAtJJL#index_YUgLDs8l
1988年、バルト三国全土でソ連から自由を取り戻す独立運動が起こりましたが、リトアニアの大聖堂は、国民が手を繋いで「人間の鎖」となって抗議運動を始めた出発点です。ガイドさんは「ここから我々の自由を求める戦いが始まりました」ととうとうと話をします。私が「日本人も、ソ連により八十数万人がシベリアに抑留され、十数万人が殺されました」と言うと、彼女は「日本も我々の仲間ですね」と言いました。実際、エストニア占領・自由博物館に行くと「日の丸」の写真が飾られています。バルト三国はソ連に占領され人口の多くがシベリアに送られ、強制労働をさせられました。彼らは日本兵以上に酷い目に遭い、当時シベリアに抑留されていた日本兵は、裏でバルト三国の人達を助けていました。その生き残りの一人が日本兵からもらった「日の丸」の旗を本国に持ち帰り、1991年に独立を取り戻すと「ソ連から酷い目に遭った中、唯一手を差し伸べてくれたのが日本人だった」と「日の丸」の旗を飾ったわけです。バルト三国にとって日本はソ連という共通の敵と戦った同志という捉え方です。「欧米は敵で、アジアだけが味方だ」という捉え方は視野が狭すぎるかもしれないと思いました。
これらのことを統合すると
なぜ一般人がシベリアで強制労働させられているのか
1945年にバルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)から多くの人がソ連(現ロシア)によってシベリアに強制連行されています。そもそもソ連は共産主義国であり、一般人でも体制に反対するものは全てシベリアで過酷な強制労働をさせたものと思われます。彼らは一般人であるにも関わらず軍人であった日本人より酷い目に遭い、それを見た日本人は裏でバルト三国の人達を助けていたということです。このテレビ番組では単にラトビアの医師が日本人を助けたお礼に寄せ書きが送られたような美談で終わっていますがこの事実は伝えていません。
なぜ命の危険を冒してまで凍傷の日本人を助けたのか。
これについては自分たちがそれまで日本人達に助けられていたからです。相当助けられたのだと思われます。最終的にはお互いの友情の証として寄せ書きを残したのです。さらに、軍事博物館に展示したのはこの事を後世に伝えるためのものです。このような根拠に基づけば腑に落ちます。恐らくこれが事実だと思われます。
つまりテレビ番組の美談とはほぼ真逆の筋書となります。このように軍人である日本人が如何にバルト三国の人達を助けていたか、当時の共産主義国ソ連が如何に愚行を行っていたかという事実を伝えずして美談だけで終わらせようとするテレビ番組の真意は何なのでしょうか。私は直接番組を見たわけではありません。しかし、このブログを見る限り少なくとも一人の視聴者が単なる美談と捉えていることは事実です。
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