今までの常識がひっくり返るとき

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なし 今までの常識がひっくり返るとき

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2024/8/1 3:42
タツ  管理人   投稿数: 2447
今まで正しいとされていたことが全否定され、真逆のことが正しいとされることがよくあります。例えば、一昔前、運動しているときに汗をかいたとき水を飲んではいけない、なぜなら、水を飲めばさらに汗をかき疲れる(バテる)からという理由でした。それまで殆どの人はそれが正しいと認識していました。しかし、現在は運動中に水を補給しなければ生命に関わる事態になるとまで言われています。

そもそも常識とは多くの人が共通して認識している知識、判断のことを指しますが、その時代、その時の環境によって変化します。永久に不変ではないということです。

では、常識というものはどのように形成されていくのかというと基本的なものは教育であり、大きく影響を及ぼすのは学者の論文です。学者は自分の論理に反することが実証されるとすぐに頭を切り替え転換することができます。そうでなければ学者とは言えないでしょう。しかし、研究を進める上で最も重要なものは研究費です。学者の中にはこの研究費を得るために頭の切り替えはできていても論理を変えない学者もいるでしょう。この利権によって事実が歪められていることも多々あると考えられます。そういう意味では特に文系はどっちにでもとれるような曖昧さがあります。

仮に論理の否定があったとして、頭の切り替えが最もできないのが一般人です。この多くの一般人に対して常識としての知識、判断を広めるのに大きな役割を担っているのがマスコミです。しかし、今のマスコミは自分たちの主張と違うことは事実であっても報道することはなく、よほどのことがない限り今まで主張してきた路線を急に変えることはありません。大きく報道し、小さく訂正するという大きなプライドがあります。

こう考えてみれば、現状では本当の常識というものは、学者の利権とマスコミの歪んだプライドによってかけ離れてしまっているのかもしれません。今後、我々一般人は何が常識なのかを考えるとき、学者がなにを根拠として主張しているのか、相対する学者の論理のどちらかを一方的にマスコミが報道していないか、あるいは全く報道していないかということを見極める必要があります。個々の認識が変わるとき常識というものがひっくり返るかもしれません。
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