殺人犯(テロ)と英雄の違い

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なし 殺人犯(テロ)と英雄の違い

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 | 投稿日時 2023/4/21 12:44 | 最終変更
タツ  管理人   投稿数: 2447
引用:
人を一人殺せば人殺しであるが、数千人殺せば英雄である
これは英国の国教会の牧師ベイルビー・ポーテューズBeilby Porteus(1731-1809)の言葉で、チャーリー・チャプリンなど色々な人に引用されています。この言葉は一見なるほどと思わせるような言葉ですが、具体的に言うと武器を持たない一般人を1人でも殺せば殺人犯だが、武装した敵を数千人殺せば英雄であると解釈されます。

一般的に武装していない一般人を数千人殺せばテロと断定されます。さて、そのテロの定義とは

テロの定義
日本の国内法では、「警察庁組織令第三十九条で、テロリズムの定義として、「テロリズム(広く恐怖又は不安を抱かせることによりその目的を達成することを意図して行われる政治上その他の主義主張に基づく暴力主義的破壊活動をいう。)」と規定されています。
アメリカ合衆国では、合衆国法典第22編第38章第2656f条において、テロリズムとは「準国家的集団又は秘密の代理人による、非戦闘員を標的とし、事前に計画された政治的な動機を持つ暴力をいう」と定義されています。
また、「国際社会は一般に受け入れられる包括的なテロリズムの定義を作り上げることに成功したことがない」とされています。それほど国際的にテロに対する考え方に相違があるということが分かります。その考え方の相違とは

テロと英雄との判断の相違
1972年5月8日にイスラエルのテルアビブ空港で日本赤軍である日本人が無差別に一般人を殺害したことは有名で犯人は殺人犯としてイスラエルに捕らえられたもののその後解放され、現地レバノンパレスチナ難民キャンプでは英雄として扱われています。
引用:
老いた日本人過激派、岡本公三のイスラエル乱射事件後の長い人生
https://www.arabnews.jp/article/japan/article_68573/
・・・今は弱々しく、白髪になった岡本公三は、故郷日本では未だ指名手配中の身であるが、レバノンのパレスチナ難民キャンプでは民衆のヒーローのような存在である。
一般的にこの事件はテロと断定されています。しかし、ある思想あるいは宗教を持つ民衆にとってはテロだという認識はなく、非武装の一般人を敵とみなし殺害した英雄と解釈されていることを表しています。つまり正当化されているのです。無論、日本国内では一般人を無差別に殺害した者は殺人犯として死刑にされている事は周知のとおりです。ある意味、海外でのこの日本人の行動は日本人の国際的な信用を貶めた事例でもあると思います。

思想の自由とはいえ、少なからずも日本にはこのような事件を英雄視する思想を否定しない日本人がメディアにもいます。このほど出所したこの日本赤軍創設者重信房子を讃えるような報道している事からも伺い知ることができるでしょう。

宗教によるテロと英雄の判断の相違
現在のイランは大統領よりも権限がある最高指導者(イスラム法学者から選出される)を元首とするイスラム教の国です。イスラム法による統治と考えることができます。
イランではイスラム教からの背教は死刑を科される犯罪である(2016 年世界の宗教の自由に関する報告書:イランpage4→。 https://www.moj.go.jp/isa/content/930003666.pdf) とされています。また、改宗の勧めも死刑、他宗教からのイスラム教への改宗は可能など戒律には厳しいものがあります。例えば最近では
引用:
広場で踊って罪に問われた男女、10年半の禁錮刑 イラン 2023.02.02 https://www.cnn.co.jp/world/35199467.html
イランの首都テヘラン市内の広場でダンスを踊る動画をSNSに投稿していたカップルが、国家の安全を乱した罪に問われ、人権団体によると10年半の禁錮刑を言い渡された
また、
引用:
スカーフの着け方で……イラン道徳警察に逮捕された女性が死亡 女性たちが抗議2022年9月19日 https://www.bbc.com/japanese/62944807
マサ・アミニさん(22)は13日、頭髪を覆うスカーフを適切に着けていなかったとして道徳警察に逮捕された。目撃者によると、アミニさんは警察車両の中で殴られ、その後、意識不明に陥った。アミニさんは16日に亡くなった。警察は暴行を否定し、アミニさんが心臓発作に襲われたと主張している。
このような事例があります。よくテレビでイランは良い国ですよという専門家がいます。本当にこの国で住みたいと思いますか?

さて、宗教によるテロと英雄の判断の相違という点で、このイランを題材にした「聖地には蜘蛛が巣を張る」という映画のきっかけというものが如実に表しているのではないでしょうか。
引用:
『聖地には蜘蛛が巣を張る』は、イランで最も悪名高き連続殺人犯、サイード・ハナイの壮絶な一生を描いた作品だ。犯人が敬虔(けいけん)な信者で模範的な人物であることを踏まえると、イラン社会に対する風刺作品であるともいえる。ハナイが聖なる街マシュハドで娼婦を襲っていた2000年代初頭は、私もまだイランに住んでいた頃だった。ハナイは、逮捕され、裁判にかけられるまでに、16人もの女性を殺害した。私がこの事件に関心を持ったのは、その裁判が行われている時だった。普通の世界なら、16人も殺した男は犯罪者として見られるはずだ。しかし、ここでは違った。一部の市民や保守派メディアは、ハナイを英雄として称え始め、ハナイは“汚れた”女たちを街から始末するという宗教的な務めを果たしただけだと擁護したのだ。私はそれを知った時に、この出来事を基に映画を作ろうと思った。
イランがイスラム教の国という前提で考えれば、宗教の熱心な信者にとってこの行為は善行であり、英雄に値すると考える社会がそこに存在し声を上げていたと考えられます。しかし、一般的にはテロと同等の行為です。この行為を肯定する宗教とは相違があります。

日本では宗教の自由が憲法で保証されています。しかし、イスラム教では改宗は死刑とされています。もし日本国内でイスラム教の信仰の厚い信者が仏教に改宗したイスラム教信者を標的に次々と殺害することがあったとしたらイスラム教の信仰の厚い信者にとっては善行ですがそれはテロと同等の犯罪行為となります。また、それぞれの宗教において少なからずも異教徒は敵だとする考えもあります。異教徒を標的にテロが起こってもこれは正当化されるのでしょうか。

テロの原因は単純なものではありません。テロの原因は宗教、思想、個人の思い込み等千差万別で対象も異教徒、人種、特定の国民、敵対する勢力、等々様々です。

以上のように一般的な見方とは逆に武装か否かに関係なく敵とみなすことによって殺害することを英雄視する思想が根強くある限りテロというものが国際的に定義されることはないと思われます。少なくとも日本国内においてのテロ(広く恐怖又は不安を抱かせることによりその目的を達成することを意図して行われる政治上その他の主義主張に基づく暴力主義的破壊活動をいう)を決して肯定すべきではありません。
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