日中記者交換協定と文化大革命
タツ
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前述でも記載した日中記者交換協定の中、結果的には毛沢東の復権のための権力闘争であったとされる死者も含め一億人とも言われる犠牲者を出したという中国共産党の文化大革命(1966年~1976年)をどのように報道していたのであろうかという疑問が湧いてきました。
引用:
当時の文化大革命の報道
検索にて、こういう記事を見付けました。
引用:
記事では当初はこのように文化大革命に批判的であったが、経営者の交代により中国共産党の意向に沿った報道をするようになったとされています。
文化大革命が行われている最中、この日中記者交換協定によるものと思われますが、「文化大革命を中傷し、国内状況をゆがめ、反中国の行為にでた」とのことで
引用:
つまり朝日新聞社以外の特派員は退去されたことになります。逆に言えばこのとき朝日新聞社だけは文化革命報道に関して中国の意向に沿った形で報道を続けていたということになります。そしてその後もこの報道姿勢(中国の意向に沿った報道を行う)を続け今に至っているということになります。
日中記者交換協定の影響
ほぼ朝日新聞の独占状態の中、半ば招待された形で、朝日新聞記者が日本軍の残虐行為糾弾する「中国の旅」(取材1971年6~7月)が自社の新聞に連載され大きな反響があったとされています。
引用:
この朝日新聞記者による「中国の旅」ですが、内容を否定する論評も数多くあります。見比べてどちらに確かな根拠と信憑性があるかということについては個人が判断することです。ただ、「中国の旅」という題目で中国というものを報道するのであれば取材された時期は文化大革命のピークであったはずです。しかも朝日新聞社は当時、日本の唯一の北京の継続的な特派員が在中し、その時、あるいはそれ以前のことについて何があったのかを当時一番よく知っている報道機関です。ジャーナリストとしてなぜ文化革命の残虐行為を記事にしなかったかが大きな疑問です。もし掲載していたならもっと大きな反響となっていたでしょう。あるいは反響によっては中国共産党は国連に加盟することができなかったかもしれません。
このように、日中記者交換協定により本来報道されるべき報道が報道できないのであれば結果的にはお互いの国民にとって不利益なことになるのではないでしょうか。例え政治的な要素を含んでいても本当に国際社会というものを念頭に置いて報道するのであればこういう協定は大きな足かせとなります。マスコミの報道姿勢に日本の政府批判をすることによってブレーキをかけるという大きな目的があるならば、人道的な立場からも中国共産党の政府批判も堂々とすべきです。
現状では個人が色々な情報を取得できる環境にあり、根拠のある情報かどうかというのは個人で判断することができます。しかし、このような日中記者交換協定に沿ったマスコミの一方的な報道というものを続けるならば今後ますます信頼性を失っていくことでしょう。
引用:
日中記者交換協定
1.中国敵視政策をとらない
2.「二つの中国」をつくる陰謀に参加しない
3.中日両国の正常な関係の回復を妨げない
この政治三原則と政経不可分の原則に基づいて日中記者交換を維持しようとするもので・・・・
当時の文化大革命の報道
検索にて、こういう記事を見付けました。
引用:
脱・洗脳史講座
http://home.att.ne.jp/blue/gendai-shi/virus/v-asahi-1-1.html
朝日は何をどう報じてきたか 2
(1) 当初の論調に違和感はない
朝日新聞が当時、文革を高く評価したのは周知のことですが、文革開始直後からというわけではありませんでした。当初は文革批判あるいは文革を懐疑する記事も結構、多かったのです。文革の始まった年の暮、朝日は社説で次のように書いています。
〈 中国が、民主主義を志向するわれわれと異なる道を歩んでいることは、隣国として重大な関心をもたざるをえない。また、今後の中国の動向が、大国主義的、膨張主義的色彩をもつのではないかという点については、特にそうである。〉― 1966年12月27日付け ―
社説は、文革をとおして将来に向けた中国の「大国主義的、膨張主義的色彩」に懸念を示しています。2015年に入った今日、軍事力を背景にした尖閣諸島の領有権、南シナ海での海洋権益獲得行動は、社説の懸念どおりに進行、中華帝国の膨張主義が現実になったことを示しました。先を見通した社説といってよいでしょう。・・・・
記事では当初はこのように文化大革命に批判的であったが、経営者の交代により中国共産党の意向に沿った報道をするようになったとされています。
文化大革命が行われている最中、この日中記者交換協定によるものと思われますが、「文化大革命を中傷し、国内状況をゆがめ、反中国の行為にでた」とのことで
引用:
まず1967年9月、毎日、サンケイ(産経)、西日本の3社3人が、10月に読売、日本テレビの2人、翌1968年6月に日経が、さらに1970年9月にはNHK、共同通信社の2人が処分を受けて、結局、9社中8社の特派員が国外退去処分になりました。
ですが、朝日新聞記者だけが退去の対象から除かれましたから、1970年10月以降は、北京駐在の特派員を持つのは朝日新聞社1社となり、北京情報を独占することになったのです。
つまり朝日新聞社以外の特派員は退去されたことになります。逆に言えばこのとき朝日新聞社だけは文化革命報道に関して中国の意向に沿った形で報道を続けていたということになります。そしてその後もこの報道姿勢(中国の意向に沿った報道を行う)を続け今に至っているということになります。
日中記者交換協定の影響
ほぼ朝日新聞の独占状態の中、半ば招待された形で、朝日新聞記者が日本軍の残虐行為糾弾する「中国の旅」(取材1971年6~7月)が自社の新聞に連載され大きな反響があったとされています。
引用:
(6) 「中国の旅」企画は手土産?
日本の軍国主義復活反対、自主防衛力強化反対、さらには日米安保条約解消、佐藤政権不信任と、たてつづけに朝日新聞は中国の主張に沿った報道を展開しました。
そして上記の目標達成を容易にする手段の一つとして、日本軍の残虐行為糾弾が日程にのぼったのではないでしょうか。この計画が中国側の示唆、ないしはそそのかしに朝日が飛びついた結果だろうと思っています。日本の防衛力強化を阻むのに、また“加害者”としての自覚の足りない日本人を目覚めさせるために、日本軍を叩くのが手っ取り早いと考えたのに違いありません。
つまり朝日は、中国と共通の理解に立っていることをつたえるため、平たく言えば中国への迎合、手土産に日本軍断罪が使われたのだと思います。
そして、中国の綿密なお膳立のもとで取材が行われました。ですから、本多自身が言うように「レールは敷かれているし、取材相手はこちらから探さなくてもむこうからそろえてくれる。だから問題は、短時間に相手からいかに大量に聞き出すか、しかも正確に聞き出すかと、そういう問題になる」という次第で、朝日新聞の半独占状態(1971年1月から日経新聞と西日本新聞が復帰)のなか、「中国の旅」連載となったのでしょう。
この朝日新聞記者による「中国の旅」ですが、内容を否定する論評も数多くあります。見比べてどちらに確かな根拠と信憑性があるかということについては個人が判断することです。ただ、「中国の旅」という題目で中国というものを報道するのであれば取材された時期は文化大革命のピークであったはずです。しかも朝日新聞社は当時、日本の唯一の北京の継続的な特派員が在中し、その時、あるいはそれ以前のことについて何があったのかを当時一番よく知っている報道機関です。ジャーナリストとしてなぜ文化革命の残虐行為を記事にしなかったかが大きな疑問です。もし掲載していたならもっと大きな反響となっていたでしょう。あるいは反響によっては中国共産党は国連に加盟することができなかったかもしれません。
このように、日中記者交換協定により本来報道されるべき報道が報道できないのであれば結果的にはお互いの国民にとって不利益なことになるのではないでしょうか。例え政治的な要素を含んでいても本当に国際社会というものを念頭に置いて報道するのであればこういう協定は大きな足かせとなります。マスコミの報道姿勢に日本の政府批判をすることによってブレーキをかけるという大きな目的があるならば、人道的な立場からも中国共産党の政府批判も堂々とすべきです。
現状では個人が色々な情報を取得できる環境にあり、根拠のある情報かどうかというのは個人で判断することができます。しかし、このような日中記者交換協定に沿ったマスコミの一方的な報道というものを続けるならば今後ますます信頼性を失っていくことでしょう。
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