アイヌは先住民族ではない

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なし アイヌは先住民族ではない

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 | 投稿日時 2020/10/23 17:22 | 最終変更
タツ  管理人   投稿数: 2447
この度10月初旬の能登ツーリングで偶然立ち寄った石川県七尾市須曽町にある「須曽蝦夷穴古墳」(築造年代は7世紀中頃)で、蝦夷穴という名称が気になり、これについて調べてみました。蝦夷というとすぐに北海道のアイヌを連想してしまうのですが、蝦夷穴という名称にはなっているもののアイヌとの深い関連はないようです。寧ろ、後世に、推測で付けられた名称のようです。
引用:
蝦夷穴 --ウィキペディア(Wikipedia)より
蝦夷穴(えぞあな)は、崖の中腹にある横穴の呼び名で、東北地方南部から関東地方・中部地方に分布する。エゾ穴とも書く。実態は古墳時代から奈良時代にかけて作られた古墳の横穴式石室か横穴墓で、蝦夷が作ったものではない。
蝦夷穴は、蝦夷(エゾ)すなわちアイヌの住居跡の意味である。だが、蝦夷は古い時代にはエミシかエビスと呼び、エゾという呼び方が生まれたのは蝦夷穴分布域で蝦夷が姿を消した後の平安時代後期以降であった。蝦夷穴はエゾ穴であって、エミシ穴、エビス穴とは言わないので、これ以降の名である。積極的証拠はないが、江戸時代あたりに付けられた名かという。遺跡の性格も、同じ地域・他地域の他の古墳・横穴墓と比べて異質なものではなく、蝦夷穴をエミシやエゾにあてることはできない。古墳・横穴墓に関する知識が失われた後世に、推測で付けられた呼び名である。明治時代の考古学では坪井正五郎が住居説を唱えたことがあったが、現在は横穴墓ということで異論はない

それでは北海道に同じような時代に古墳は発見されていないのかと検索してみると江別古墳(1931年に発見に 後藤寿一によって発見された)というものが検索結果に出てきました。
引用:
江別古墳群 --ウィキペディア(Wikipedia)より
江別古墳群(えべつこふんぐん)は、北海道江別市にある群集墳である。国の史跡に指定されている。日本にあるものの中では最も北に位置する古墳として知られる。
古墳時代に古墳が盛んに造られたのは畿内を中心として九州南部から東北南部にかけての一帯であるが、北海道内にもわずかながら古墳は現存している。ただし、それは古墳時代(3世紀-6世紀)のものではなく、蝦夷征討の盛んに行われた飛鳥時代、奈良時代、平安時代前半すなわち律令時代に築造され、当時この地域で栄えていたといわれる擦文文化前半の時期に相当する。北海道の古墳で、現在発見されているのは恵庭市・江別市および札幌市においてであり、なかでも江別古墳群は最北端に位置している。

ひょっとしたらまだ発見されていない古墳がまだあるかもしれませんが擦文時代(7世紀ごろから13世紀)の前半に北海道においてこの江別古墳が存在し、古墳から出土した遺物には本州からもたらされたと思われる須恵器、鉄鏃、刀子、鋤先などがあったとされています。ということは本州と同様、権力者が存在していたことになります。つまりアイヌ文化が発生したとされる13世紀よりもさらに古い時代にすでに大和民族が統治していたということになります。単純に考えれば本当の先住民族は大和民族ということになります。

北海道の地名には良くアイヌ語が使われています。これは13世紀には大和民族に代わってアイヌ民族が北海道で広く大きな権力を持ったと考えたほうが自然だと思います。アイヌ民族は北海道の先住民ではないとしても、その時代に生きる多くの人にアイヌ文化が受け入れられたことは事実だと思います。

 
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