Re: 兵庫県 明石と宮本武蔵
タツ
投稿数: 2447
この度、熊本まで行く機会があり、宮本武蔵が最後に五輪書を書いた場所である霊厳洞まで行ってきました。近くの岩戸の里公園に武蔵の生涯についての説明があり、生まれは岡山県英田郡大原町宮本と記されています。これはちょっと異議あり!
こちらの略年譜には8歳の時に養子となって岡山に行ったことになっています。私の思うに高砂市の生まれで8歳まで暮らしいたとすれば、高砂市は地理的に姫路城と明石城のちょうど真ん中になるので土地勘がありここを行き来していたとしても不思議ではないと思われます。従ってこの略年譜のほうがより信憑性があると思います。
こちらの略年譜には8歳の時に養子となって岡山に行ったことになっています。私の思うに高砂市の生まれで8歳まで暮らしいたとすれば、高砂市は地理的に姫路城と明石城のちょうど真ん中になるので土地勘がありここを行き来していたとしても不思議ではないと思われます。従ってこの略年譜のほうがより信憑性があると思います。
投票数:23
平均点:5.22
投稿ツリー
-
兵庫県 明石と宮本武蔵
(タツ, 2016/3/21 1:39)
- Re: 兵庫県 明石と宮本武蔵 (タツ, 2016/6/2 17:25)
- Re: 兵庫県 明石と宮本武蔵 (タツ, 2019/6/7 8:07)