パレスチナとイスラエル

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 | 投稿日時 2014/9/17 4:54
kuromame  長老   投稿数: 254
僕らが滞在したイスラエルはパレスチナという地域の中にあります。パレスチナは大きく分けて、ユダヤ人のつくった国、イスラエルとアラブ人の住むパレスチナ自治区があります。ユダヤ人とパレスチナ人(アラブ人)は大きな問題を抱えていて、今も争いが絶えません。僕が調べて知ったパレスチナについての情報を自分なりに解釈して書いておきます。間違ってたらすみません。

パレスチナには何千年もの大昔、ユダヤ人の国がありました。その国の中心がエルサレム。そしてユダヤ教の聖書にもパレスチナがユダヤの聖地だと書かれています。だからユダヤ人にとってパレスチナは特別な場所。でもローマによってその国は滅ぼされ、その後ユダヤ人はヨーロッパ各国へと散らばります。そして時は経ち、第一次世界大戦が始まった頃、このエルサレムにはアラブ人(パレスチナ人)とユダヤ人が共存して生活していました。

その頃のエルサレムや中東諸国はトルコの占領下でした。トルコと戦っていたイギリスは、トルコ占領下のアラブ人に戦力になってくれるなら中東の大部分をアラブ人の国にするために支援すると約束しました。そしてユダヤ人には戦争資金を調達するため、パレスチナにユダヤの国を建国すると約束しました。そしてイギリスがトルコに勝ち、パレスチナはイギリスが統治する事になった。

その後、第二次世界大戦中にヨーロッパ各地でナチスドイツのヒトラーがユダヤ人を迫害します。その結果、ヨーロッパに住んでいた多くのユダヤ人が安全に生活できると信じてこのパレスチナへ難民として流れ込んできました。そこでパレスチナを乗っ取られると危惧したアラブ人とイスラエル建国を目指すユダヤ人との間に亀裂が生まれます。パレスチナを統治していたイギリスはだんだん手に負えなくなり、この問題を国連に丸投げしました。

国連はイギリスの約束したことを実行しようとパレスチナにユダヤ人の住む国とパレスチナ人の住む場所を取り決めました。エルサレムを含む一部の地域はユダヤ人のものとしてイスラエルという国ができ、日本のメディアでもよく取り上げられるガザ地区などの砂漠地帯はアラブ人のものとしてパレスチナ自治区になりました。エルサレムなどに住んでいたアラブ人達は強制退去させられ、パレスチナ難民が生まれた事で今も問題になっています。

当然納得のいかないアラブ人達は反発して、現在に至るまでイスラエルと争いを続けています。さらにこのエルサレムはユダヤ教、キリスト教、イスラム教という3つの宗教の聖地とされる場所。それがユダヤ教徒の国になったもんだから、他教徒からも反感を買っています。色々と問題の多い所です。

僕らがエルサレムに到着したのは昼だったので中心街に関しては危なそうな雰囲気はあまり感じられなかった。この国は今本当に戦争中なのか?と疑いたくなるぐらい平穏で観光客もたくさんいました。イブラヒムじいさんの家があるオリーブ山に関しては、パレスチナ人が多く住む地区なので僕らが宿泊した日は毎晩デモやいざこざが起こっていました。

ちょうどイスラエル軍がガザ地区の攻撃を再開した事もあり、エルサレムでも争いが激化しているそうです。夜、宿の屋上に行くと数十メートル先で投石、火炎瓶、ゴム弾、催涙弾などを使った激しいバトルが繰り広げられていました。ゴム弾の弾道が光って見えたので、あれは当たったら相当痛いと思う。骨ぐらいは簡単に折れるんじゃないかな。

2日目の夜には宿の前でイスラエル軍が催涙弾をぶっ放したので、宿にその煙が入ってきて目鼻がめちゃくちゃ痛かった。そんな争いが毎晩繰り広げられている最中、近所の住民達は普通に家の屋上で夕食を楽しんでいた。ここに住む人達にとったら、こんな事は日常茶飯事なんだと思う。エルサレム滞在中に偶然にも自分の目でこういったイスラエルの現状を知ることになりました。

ちなみにイブラヒムじいさんは近所のパレスチナ人にもイスラエル人にも一目置かれている存在なので宿の中は安全でした。
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