常識という大きな錯覚

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なし 常識という大きな錯覚

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 .2 | 投稿日時 2010/5/13 21:39 | 最終変更
タツ  管理人   投稿数: 2450
常識とはなんだろう????
社会での常識はともかく、自分の中でこれは常識だという考えが実はそうではないということがあります。そもそも、この常識というものは一体誰が作るのかというと意外と本人が勝手に思いこんでいることが多いのです。自分が知っていることは誰もが知っているだろうという錯覚です。

どのようにして作られるかと言うと、いつものことだから、誰でも知っていると錯覚してしまうのです。つまり、その人が恒常的に利用していること、行っていること、よく使っている言葉などが本人にとっていつのまにか常識となってしまうのです。

時には、その身勝手な常識というものを他人が知らなければ、その人間を見下すということもよくあることです。これはある意味、大きな錯覚でしょう。特に専門用語、外来語などを常に使うような環境下であれば、特に顕著だと思います。

例えば、コンプライアンスという言葉が近頃ではよく使われます。メディアでもよくつかわれる言葉です。意味は法律や規則などのごく基本的なルールに従って活動を行うこと。なのですが、これを法令、規則を順守することと言えばだれでもわかることですが、敢えてコンプライアンスという言葉で表現するのはなぜでしょう。

コンプライアンスという言葉を日常茶飯事に使っている人間にとってはなんとなく意味がわかることですが、初めて聞く人間にとってそれは常識でもなんでもないのです。知らない人間を常識がないとするのは大きな錯覚です。普及もしていない外来語を常識の範囲に収めること自体無理があります。

これと同じように日常茶飯事に行われていることが果たして良いことかどうか吟味もせずに常識と考えていることは大きな錯覚です。常識とは良識を備えたうえで、自分も全く関係のない他人も知っていることこそ常識と言えるのです。
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