山口県 金子みすゞ記念館
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ここは、今回のソロツーリングで私の中では最も感動した場所の1つでした。文学にはほとんど興味のない私が、山口県長門市仙崎にあるこの金子みすゞ記念館へ行ってみようと思ったのは、若干26歳という若さで亡くなり、もう生誕百年もなろうかというにも関わらず、世代を超えていまだにその作品に人気があり多くの人に支持されているのはなぜなのだろう? どういう生い立ちだったのだろうか? という人物に対しての興味が湧き行ってみることにしました。
到着したのは14時半位で、昼ごはんもまだだったので記念館で近くの中華料理屋を教えてもらい探し当てたのですが、既に昼は14時営業終了です。。。まだ食べてる人いるのになぁ。。。とか思いながら、近くの八百屋さんでパンを販売してたので牛乳と一緒に購入し事情を話すとそこの椅子に座って食べていいよって店の中で食べさせてくれました。
金子みすゞ記念館は生誕100周年となる2003年4月11日に生家跡としてオープンしたものです。金子みすゞ(本名テル)は、記念館がオープンする丁度100年前、1903年(明治36年)4月11日にここで生まれ、明治、大正、昭和の時代を生き、26歳で亡くなるまでに500余編の詩を綴った童謡詩人とされています。近くの八百屋さんでパンを食べていたときに店の人から聞きましたが、この記念館がオープンするにあたって、金子みすゞがこの町の出身だったことは皆知らず町中降って湧いたような話だったと言っていました。今もこの通りにある商店街の店の所々に金子みすゞの作品を展示してたりと、仙崎では町を挙げて金子みすゞをアピールしています。
さて記念館の中に入るとすぐそこは昔の本屋のようになっています。金子みすゞが育った環境をみると、人情のある町に育ち、本に囲まれながら文学に興味を持ち、感受性が非常に強く、既に少女時代から作品を残していたようです。
そして、題材も自分の生活の中にあるごくありふれたものが多いので親近感があります。その内容は筋が通っていて素直な表現に納得感があり、何気に強いメッセージ性があるのです。その中には自分が受けた愛情、自分の娘に注ぐ愛情を表すような作品も残しています。なるほど、これが魅力かぁ。世代を超えてもこれは人気があるはずだと思います。
しかし、23歳で結婚し、26歳で亡くなるということはよほど結婚した相手とは合わなかったのでしょう。結婚相手は金子みすゞが文学と関わる事を禁止していたようです。これは明らかに価値観の違いでしょう。この時代は女性が自分の意志とは関係なく結婚を強いられていてもおかしくない時代、まして離婚すること自体困難なはずです。子供を自分が引き取るとなるとさらに困難なことだったと思います。しかし結果的には自分の娘を自分の母親に引き取るように依頼し亡くなったとのことです。娘には深い愛情を抱いていたということが伺えます。
因みにウィキペディアでは離婚原因は夫から淋病を感染させられたからで死因は服毒自殺となっています。しかし100年も前のことで信憑性については不明です。
もし、今の時代に金子みすゞが存在したら同じような作品を残せたかというと疑問に思います。それはその時代、その環境だったからできたのではないでしょうか。でもよく100年も前の作品を発掘したものですね。それも驚きです。
到着したのは14時半位で、昼ごはんもまだだったので記念館で近くの中華料理屋を教えてもらい探し当てたのですが、既に昼は14時営業終了です。。。まだ食べてる人いるのになぁ。。。とか思いながら、近くの八百屋さんでパンを販売してたので牛乳と一緒に購入し事情を話すとそこの椅子に座って食べていいよって店の中で食べさせてくれました。
金子みすゞ記念館は生誕100周年となる2003年4月11日に生家跡としてオープンしたものです。金子みすゞ(本名テル)は、記念館がオープンする丁度100年前、1903年(明治36年)4月11日にここで生まれ、明治、大正、昭和の時代を生き、26歳で亡くなるまでに500余編の詩を綴った童謡詩人とされています。近くの八百屋さんでパンを食べていたときに店の人から聞きましたが、この記念館がオープンするにあたって、金子みすゞがこの町の出身だったことは皆知らず町中降って湧いたような話だったと言っていました。今もこの通りにある商店街の店の所々に金子みすゞの作品を展示してたりと、仙崎では町を挙げて金子みすゞをアピールしています。
さて記念館の中に入るとすぐそこは昔の本屋のようになっています。金子みすゞが育った環境をみると、人情のある町に育ち、本に囲まれながら文学に興味を持ち、感受性が非常に強く、既に少女時代から作品を残していたようです。
そして、題材も自分の生活の中にあるごくありふれたものが多いので親近感があります。その内容は筋が通っていて素直な表現に納得感があり、何気に強いメッセージ性があるのです。その中には自分が受けた愛情、自分の娘に注ぐ愛情を表すような作品も残しています。なるほど、これが魅力かぁ。世代を超えてもこれは人気があるはずだと思います。
しかし、23歳で結婚し、26歳で亡くなるということはよほど結婚した相手とは合わなかったのでしょう。結婚相手は金子みすゞが文学と関わる事を禁止していたようです。これは明らかに価値観の違いでしょう。この時代は女性が自分の意志とは関係なく結婚を強いられていてもおかしくない時代、まして離婚すること自体困難なはずです。子供を自分が引き取るとなるとさらに困難なことだったと思います。しかし結果的には自分の娘を自分の母親に引き取るように依頼し亡くなったとのことです。娘には深い愛情を抱いていたということが伺えます。
因みにウィキペディアでは離婚原因は夫から淋病を感染させられたからで死因は服毒自殺となっています。しかし100年も前のことで信憑性については不明です。
もし、今の時代に金子みすゞが存在したら同じような作品を残せたかというと疑問に思います。それはその時代、その環境だったからできたのではないでしょうか。でもよく100年も前の作品を発掘したものですね。それも驚きです。
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