モスタル(ボスニア)
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クロアチアのドブロヴニクからバスで3時間半、お隣の国ボスニアのモスタルにやってきました。モスタルは旧ユーゴスラビア紛争のなかでもひどく被害を受けた街です。バス停へ到着したから中心街付近にある宿へ向かうまで無数の穴が空いた建物が何軒も目に入った。これは全て紛争の時にできた銃弾の痕。博物館かなにかやったんかな?でっかい穴が空いている。紛争が起こったのはほんの20年程前。人も街もまだまだ傷が癒えていない様子。そんな街に日本が寄与したと思われる日本国旗の張られたバスがたくさん走っていた。
モスタルで1番有名な観光名所、スタリモストという橋。この周辺はレストランやお土産屋が並び、紛争があったなんて嘘かのように賑わっているけど、実はこの橋も内戦によって一度完全に崩壊しました。モスタル名物、バンジーの紐なしジャンプ。高さ24mのこの橋から地元パフォーマーが川へダイブします!超寒そうやったけど、観光客からいっぱいチップをもらってた。飛び込んだあと。もっと暖かかったら僕もやりたかった!
そんな賑やかな観光名所から数十メートルも離れるとまた弾痕が残された建物が無数にある。この日は曇りだった事もあってなのか、レストラン街周辺も昼間から暗く空気もどんよりしていて、不審者もちらほらいて、危なそうな雰囲気が漂っていました。そんな街で僕らを癒してくれたのはこの宿。Pension ISA
モスタルは川を境にクロアチア人が住む地区とボシュニャク人が住む地区に分かれていて、この宿は安宿街があるボシュニャク人地区にあります。ここの女性オーナーは、おもてなしに慣れている日本人もびっくりするほど親切でした。街にある観光名所の事も丁寧に時間を掛けて説明してくれるし、僕が街で蜂に刺されたときは、わざわざ薬局に薬を買いに行ってくれたり、何から何までお世話してもらった。部屋も清潔でシンプルかつお洒落。しかも大量の粉コーヒーと紅茶パックまで。宿泊料もリーズナブル。宿を出るときは僕らの姿が見えなくなるまで大手を振って見送ってくれました。暗い雰囲気のあったモスタルがこの宿のおかげで良い街だという印象が強くなった気がする。やっぱり泊まる宿ってめちゃくちゃ重要だなと思った。
モスタルで1番有名な観光名所、スタリモストという橋。この周辺はレストランやお土産屋が並び、紛争があったなんて嘘かのように賑わっているけど、実はこの橋も内戦によって一度完全に崩壊しました。モスタル名物、バンジーの紐なしジャンプ。高さ24mのこの橋から地元パフォーマーが川へダイブします!超寒そうやったけど、観光客からいっぱいチップをもらってた。飛び込んだあと。もっと暖かかったら僕もやりたかった!
そんな賑やかな観光名所から数十メートルも離れるとまた弾痕が残された建物が無数にある。この日は曇りだった事もあってなのか、レストラン街周辺も昼間から暗く空気もどんよりしていて、不審者もちらほらいて、危なそうな雰囲気が漂っていました。そんな街で僕らを癒してくれたのはこの宿。Pension ISA
モスタルは川を境にクロアチア人が住む地区とボシュニャク人が住む地区に分かれていて、この宿は安宿街があるボシュニャク人地区にあります。ここの女性オーナーは、おもてなしに慣れている日本人もびっくりするほど親切でした。街にある観光名所の事も丁寧に時間を掛けて説明してくれるし、僕が街で蜂に刺されたときは、わざわざ薬局に薬を買いに行ってくれたり、何から何までお世話してもらった。部屋も清潔でシンプルかつお洒落。しかも大量の粉コーヒーと紅茶パックまで。宿泊料もリーズナブル。宿を出るときは僕らの姿が見えなくなるまで大手を振って見送ってくれました。暗い雰囲気のあったモスタルがこの宿のおかげで良い街だという印象が強くなった気がする。やっぱり泊まる宿ってめちゃくちゃ重要だなと思った。
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