ボスニア
(5 件)
上のカテゴリへ地図表示
並び替え | | | タイトル | | | 日時 | | | ヒット数 | | | 現在の並び: ヒット数 (低→高) |
1 - 5 件目 ( 5 件中)
モスタルからバスに乗ってボスニアの首都サラエボへやって来ました。サラエボに着いたのは午後5時。まだまだ人が活動しているはずの時間なのにバスターミナル周辺は人もまばらで妙に静まりかえっていました。しかも、この日は曇り厚い雲で暗かったこともあってか、不穏な空気が漂っている。2、3日の滞在予定だったけど、正直ここはちょっとまずいかもという感じがし...
クロアチアのドブロヴニクからバスで3時間半、お隣の国ボスニアのモスタルにやってきました。モスタルは旧ユーゴスラビア紛争のなかでもひどく被害を受けた街です。バス停へ到着したから中心街付近にある宿へ向かうまで無数の穴が空いた建物が何軒も目に入った。これは全て紛争の時にできた銃弾の痕。博物館かなにかやったんかな?でっかい穴が空いている。紛争が起...
サラエボの中心街と旧市街を散策。まずは宿から徒歩100mほどの場所にあるラテン橋。ちょうど今から100年前、この橋の上でオーストリア皇太子夫妻がセルビア人青年によって射殺され、日本を巻き込む第一次世界大戦が勃発しました。橋の前は記念館になっていて、なかには殺害したセルビア人青年の足あとなどが残っています。
旧市街バシュチャルシヤ。メイン通りがびっくりするほど東アジア風だった。というか京都っぽい!高台寺や清水寺周辺にそっくり。何でなんやろ?ヨーロッパの雰囲気がありつつもアジア風です。ムスリムの人が多いのでモスクもある。そしてトルコぶりのチャイ屋も。しかも値段が安くて美味い!旧市街を抜けて坂道を上がるとたくさんのお墓がありました。石碑があった...
サラエボにはスナイパー通りという恐ろしい名前がついた道。ユーゴスラビア紛争の時、セルビア軍がこの辺り一帯を占拠してビルにスナイパーを配置させていました。当時、動くものは全て撃たれると言われていたそうです。実際、老若男女関係なく沢山の人がここで撃ち殺れました。今でも当時からある古い建物が多く、この辺り一帯は穴が空いてない建物を探す方が難し...
1 - 5 件目 ( 5 件中)