イタリア
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なぜイタリアにスペインの広場があるのかと思いきや、間近にあるスペイン大使館にちなんで命名されたということらしいのです。広場にはバックに「トリニタ・ディ・モンティ教会」が見える大きな階段と手前には「バルカッチャの噴水」があります。何とも眺めがいいですねぇ。ここの階段も映画「ローマの休日」のワンシーンに使われた場所の1つです。
映画「ローマの休日」の忘れられないワンシーンにある「真実の口」です。この映画の主演女優オードリー・ヘプバーンは銀幕の妖精と言われるだけあって何度見ても綺麗な人です。特に目が綺麗。あの目で見つめられたら誰も。。。。。ところで、この真実の口はサンタ・マリア・イン・コスメディン教会の外壁、教会の正面柱廊の奥に飾られていて、邪心がある者は手を口...
紀元前25年、初代ローマ皇帝アウグストゥスの側近マルクス・ウィプサニウス・アグリッパによって万神殿として建造されたが焼失し、118年から128年に掛けて、ローマ皇帝ハドリアヌスによって再建されたものです。円堂と半球形のドームが載った構造で、壁面の厚さは6mで、床からドーム頂部までの高さは直径と同じ43.2m。ローマ神が失墜した後、608年頃にはキリスト教の聖堂...
ベネチア広場の前に立つ真っ白な建物が、ヴィットリオ・エマヌエーレ二世記念堂です。目を引く建物ですね。意外と建てられたのは新しく1911年完成で、1870年にイタリア統一に大きな役割を果たした、初代の国王ヴィットリオ・エマヌエーレ二世の業績を称えて建てられた記念堂です。中央に見えるヴィットリオ・エマヌエーレ2世像の下は、第一次世界大戦で戦死した無名戦...
コンスタンティヌス凱旋門(Arco di Costantino)は、古代ローマ時代の凱旋門で、312年、西の副帝であったコンスタンティヌスが、正帝マクセンティウス帝に勝利し、西ローマの唯一の皇帝となった事を記念し建てられたものです。ローマにある凱旋門では最大で、高さ21m、幅25.7m、奥行き約7.4m。となっています。凱旋門と言えばフランスのパリにあるエトワール凱旋門が有名...
もともと、紀元前6世紀、エジプト第26王朝アプリエス王がサイスに立てたとされる短めの1対のオベリスクの1本で、残りの一本はいまイタリア中部の小都市ウルビーノにあるとのことです。地中に埋まっていたのを1665年ドメニコ派の修道僧によって発見され,当時のローマ法王アレッサンドロ7世がこれをミネルバ教会の前に建てたものです。「パンテオン」のすぐ近くです。...
この広場はミラノの中心的存在の1つで、聖堂としてはローマのサン・ピエトロ寺院に次いで2番目の大聖堂ドォーモが建ち、世界の高級ブランド・ショップが勢揃いしている豪華なショッピングアーケード「ウィットーリオ・エマヌエーレ2世ガレリア」も近くにあり、まさに観光とショッピングがドッキングした機能的な場所だというのがよくわかります。大聖堂ドゥオーモ...
サン・ロレンツォ教会、メディチ家礼拝堂は入口は別々ですが隣同士で特に航空写真の地図で見ると、一体の建物で十字架のように見えます。同じく十字架を意識して建てたサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂とは建てる方向が逆(東西が逆)です。因みに十字架の建物は頭を東に向けて建てるようです。15世紀初め、メディチ家は当主ジョヴァンニ・ディ・ビッチが銀行...
14世紀に建てられたフィレンツェ政庁舎です。後にメディチ家、コジモ1世が住居をここに一時移したとき、1550年から1565年の間に、ジョルジョ・ヴァザーリによって一部改築されています。メディチ家という一族はかなり権力と財力を持っていたことが伺えます。現在はフィレンツェ市庁舎として使われています。内部は、「フランチェスコ1世の仕事部屋」「500人大広間」「レ...
アルノ川に架かる橋で橋の上の通りには住居、宝飾品などの店舗があるという珍しい橋です。日本では見かけない光景です。イタリア語でPonte(橋)、Vecchio(古い)で古い橋という意味。1345年に建てられたものだそうです。橋上には銅像があり、BENVENNUTO CELLINI(ベンヴェヌート チェッリーニ)という有名な彫刻家で、元は金細工師だったそうです。ここの宝飾店の金細工職人繋...