Re: キリスト苦難の道--ヴィア・ドロローサ(イスラエル)

対象モジュール 世界の旅と地図
件名 キリスト苦難の道--ヴィア・ドロローサ(イスラエル)
要旨 エルサレムに到着した翌朝、またカイト君とテツ君と一緒に宿から旧市街へと歩いて行きました。まず最初に訪れたのはオリーブ山の麓にある万国民の教会( Church of Gethsemane)。イエスが...
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なし Re: キリスト苦難の道--ヴィア・ドロローサ(イスラエル)

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2014/10/22 12:20 | 最終変更
タツ  管理人   投稿数: 2447
イエスキリストについては、神の子であったとか宇宙人であったとか色々なことが想像されています。ただ、事実として、現在存在している人で会ったという人は誰もいません。文書等を含めた全て言い伝えなのです。個人的な想像ですが、実は普通の人間だったのではないでしょうか。その時代の宗教に対して不合理を理路整然と説く才能溢れた人だったのではないでしょうか。

イエスキリストはもともとユダヤ教であったとされています。もし、そのユダヤ教の中で納得のいかない戒律を改めようとする行為があったとしたら、、、例えば、ユダヤ教では休日には「なにもしてはならない」という戒律があるらしい。それをキリストが「休日は人間のためにあるのであって、休日のために人間があるのではない」と説いたとしましょう。普通はそれを聞いた人々は納得するでしょう。とても合理的な考え方だと思います。しかしその時代の民衆には受け入れられず、布教が広まって行けば行くほど危険な勢力とみなされたのではないでしょうか。

キリスト教が布教した大きな要因は、イエスキリストの才能を理解し、一般の人にも分かるように布教した熱心な弟子たちの長い地道な活動だと思います。この活動によって約300年後に認められるようになったとされています。それが現在にまで至っています。すごいことですね。

ただ、問題はそれぞれ弟子によって価値観が違い、1つの教えに対して色々な受け取り方があり色々な宗派をもたらしたのだと思います。もし、イエスキリストが生きていてこの宗派の違いを見てもそれは個性として認めるのではないでしょうか。そんな気がします。

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